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6 幕末から明治へ

 

①尊王攘夷論への共鳴

黒船1853年(嘉永6)、杏雨44歳のとき、アメリカ合衆国海軍司令長官ペリーが4隻の軍艦を率いて浦賀に現れたのである。いわゆる黒船の来航である。ペリーは日本に開国を迫った。260年という長い間、鎖国状態にあった日本は、これを機に開国か攘夷かで分かれていく。

その波は、ここ豊後にも押し寄せてきた。杏雨は、長三洲や後藤碩田などの友人の影響もあって、尊王攘夷論に共鳴していたのであった。穏和な中に、内面には強い情熱と激しさを秘めた杏雨であった。

 

 

 

②画風の変化

幕末、杏雨の周辺はあわただしくなった。そして、時代が大きく急速に動き始めていた。その波は、杏雨の画風に影響を与えていく。

1856年(安政3)、杏雨47歳の頃から絵にはっきりと変化が生じてきた。強く早い筆を基調とし、峻巌な自然を描き出そうとする画風へとおのずから傾斜していった。まさに動乱の時代が杏雨をはじめ多くの南画人の画風を大きく変えてしまったのだった。

楓林煎茶図玉蘭富貴図

1856年(安政3)杏雨47歳「楓林煎茶図

1856年(安政3)杏雨47歳「玉蘭富貴図

 

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